当院の名前の由来について

当院の名前「rokumon」の由来について
当院の名前「rokumon」には3つの想いがあります。
①江戸幕府医官・望月三英の号・鹿門
1つは、私の大好きな江戸中期の漢方医・望月三英の号です。
三英は、徳川吉宗に仕えた幕府医官でありながら私材を投じて、医学校をつくるべく、奔走していました。
その背景には、貴重な古医書を収集し、後学に残すという使命感があったからです。300年たっても、東洋医学が抱える課題は変わらないのだと痛感する次第です。
先人の想いを受け継ぎ、微力ながら、本治療院の開設が患者さまや東洋医学に従事する方々にとって、有意義なものになることを信じて、邁進してまいりたいと思います。望月三英についての詳細は、石田先生の論文()をご参照頂けたらと思います。
②戦国時代の武将・真田幸村の家紋・六文銭
六文銭とは、文銭を3個ずつ横2列に並べた形のもので、戦国時代の名高い武将、真田幸村の家紋として知られています。
幼少期から、真田幸村が大好きでした。
真田幸村をはじめて知ったのは、小学生の時、漫画を通してでした。
幼心に、大坂夏の陣において、徳川の大軍に対してひるまず、奮闘した真田幸村の生きざまに感銘を受けたことが、今でも印象に残っております。
六文銭は、日本における仏葬の副葬品である冥銭のことで、三途の川を渡る際に乗る船の渡し賃ともいわれいるので、一見、不吉な怖いイメージを抱く方が多いかもしれません。
しかしながら、死とは、いずれ誰にでも平等に訪れるものであり、免れることはできません。
だからこそ、ただ「治った」「治らない」に帰結せず、
「どのように生きて、どのような死を迎えるか」
そのような患者さまのお気持ちに寄り添い、一緒にライフスタイルを考えていけたらと思っております。
③中国・襄陽の鹿門山
また後漢の龐徳公・唐代の著名な詩人孟浩然や皮日休は襄陽の鹿門山に隠棲したといわれています。
皮日休は故郷に近い鹿門山に籠居し、酒と詩を友とする生活を送っていました。
当院に訪れる皆様が鹿門山のように、リラックスしながら学びを得ていただけたらという願いが込められております。